床張り
日常生活の場に似つかわしくない、趣味と時々の仕事で使う加工機や工具の類がそこそこ持っています。これらの置き場かつ使う場所として工作部屋を計画しました。
当初の思惑では、土間にしたかったのですが、建物内の断熱性を考えると不利になるので、普通の居室と同様に床を張ることにしました。
この工作部屋はどうせ汚れてくるので、床もベニヤでいいやと思っていたのですが、昨今の木材価格の上昇に伴い、案外馬鹿にならない材料費となることが分かり、どうしたものかと思案しているときに、ヤフオクで丁度良い半端物の床材を見つけました。栗の無垢板ですが、面積当たりの単価はベニヤよりも安いものです。
設計さんに当該材料を買って、「施主支給でもいい?」尋ねたところこの床材のサイズが小さく貼り込む手間が尋常じゃないので、「自分で貼るならどうぞ」と言うことになったので、自分で貼ることにしました。
貼る面積は4坪ちょっとしかないのですが、板が小さく400枚近くにもなりました。床張りデビューの中年オヤジがぼちぼちやって、約1週間掛かりました。
これはまだ、貼っている途中の写真でして、何度も床材から躯体の柱までの距離を測りながら、建物に対して斜めにならない様に微調整しながら慎重に貼っていきました。
半端物として買った床材なので、この部屋全部に貼り込むだけ量が無かったので、一部は居室向けに手配してもらった床材を分けてもらって、貼り込みました。
仕様的としては、厚みが15mmなのですが、0.3~0.8mm位厚みが違っていたので板と板が接する部分はそれぞれに適当なシムを噛ませて、表面の高さを合わせました。
ちなみにこの場所は後で加工機を置く机を作るところなので、床の色が違っていてもあまり気にならないと踏んで、ここで面積を稼ぎました。
材料費と作業費を合わせれば、10数万は節約出来たかなと思います。
ただ、この仕事は1月の寒い頃にやっていたので、その代償として軽いぎっくり腰は喰らいまして、この時の不調はその先の諸作業や引っ越し作業もあって、6月くらいまでは尾を引きました。
この先も、この床は毎日見ることになるので、いい思い出となりました。
躯体の構造について
家を建てながら、ブログを書こうと思っていたのですが、気力と体力にマージンが無くて、ブログを書かないうちに家が出来ちゃいました。
ここから先は、家を建てるに当たって印象深かった事をピックアップして書いていきたいと思います。
先ずは、躯体について。
建築の設計は素人なので、基本的には設計さんの提案に従ったまでです。
ただ、私自身も技術屋の端くれであるので、やっぱり力学的な基本から鑑みて少しでも丈夫で長持ちするものにしようと思いました。
家の形は、容積と表面積の比で考えた場合に尤も効率が良いのは球体となるのでしょうが、そんなもんを作る事は非現実的なので、ほぼほぼ正方体の基本構造にしました。庭も無くせば平屋でも行けたと思いますが、ちょっと床面積が小さくなるとの、床面面積に対して建築費が高くつくので、2階建てしました。
前述したように力学的な丈夫さを考えると1階と2階の床面積は同じにしちゃった方が丈夫かつ長持ちする家になると考えたので、結果的に正方体みたいな形の家となりました。お陰で家族構成から見ると、ちょっと意味不明な広さの家になってしまいました。随分と地球に厳しい生きものだなと、恥じ入るところはあります。
躯体は木造軸組工法です。普通の木造住宅です。
設計さんのこだわりで、材料は基本的に無垢材です。集成材は接着材の強度に依存するので使いたくないとのこと。この点は私も完全に同意出来る所だったので、ありがたい限りです。あと、強度に関しても設計さんのこだわりで、筋交い+耐力面材の仕様となっていて、やたらと丈夫そうです。私の余命をはるかに凌駕できると構造となっていると思います。
この先で、私のリクエストで耐震性を上げるための部材を追加してもらいました。
制震テープと言うものです。
柱と耐力面材の間に貼るちょっと粘り気のある厚めの両面テープみたいなものです。
柱に貼ってある白いテープ見たいものがそれです。
この部材は地震で建物が揺れたときにその振動エネルギーをこのテープである程度吸収して、建物の振幅を減らす効果があるそうです。
躯体全体は弾性体であるので、どこかに振動を吸収するダンパーみたいなものがあると振動の収束は早くなる筈なので、最初は制震ダンパー見たいものを仕込もうかと思っていたのですが、そのような制震ダンパーですと、ダンパーの本数と配置、それに取付部分の強度など、設計検討工数がやたらと掛かりそうだし、お値段も高いしで躊躇しているところに、このテープを見つけたので、貼り付けてもらいました。
個人住宅の建築に関するものは、実験して検証することが出来ないので、メーカーさんの言葉を信じるしかないのですが、原理的には無いよりあった方が良いはずなので採用しました。
この先で、このテープの効果が実感出来るような地震には巡り会いたくはないですが、ホンの少しだけ効果を実感する機会があってもいいのかな?とも思っちゃったりしています。
と、こんな訳でやたらと丈夫そうな家となりました、とのお話でした。
初めての縄文式土器づくり
自宅を建てる土地から縄文土器片が出てきたこともあり、昨年から古代史にハマっています。後付けぽいですが、昔から割と歴史好きで特に古代史が好きだったので、土器片の一件で寝た子を起こされた感じです。
自宅から近いところに水子貝塚という縄文前期の貝塚とムラと呼べるレベルの住居跡群が見つかった史跡のなかに水子貝塚資料館があります。ここでは市内から発掘された石器、土器、鉄器などの遺物の展示と、水子貝塚で見つかった住居跡の発掘状況の復元模型(実物大)などの展示があります。これはこれでなかなか興味深く見られます。
この資料館が毎年開催している土器づくり教室なるイベントがあります。
県内で採取した粘土を含む土をこねて、縄文時代と同じ様に野焼きで焼成して土器を作る体験が出来るものでして、見るだけとは違って、実際に作ってみることで気づく事もあるかな?と思い参加してみました。
日程は全4日で、最初の日には縄文土器に関するガイダンスがありました。
結構な種類と数の土器が市内から発掘されているのはいい意味で驚きでした。この辺りは昔から住みやすい土地だったのでしょうね。
実際にモデルとなる土器を選ばせてもらえます。しかも発掘された本物。
私が選んだのはこちら。
羽沢遺跡から発掘された、縄文中期のもので、型式としては勝坂末期~加曽利EⅠ式とされるものです。
ちなみに、型式は全然勉強途中でして、今の段階では「はぁ、そうですか」レベルです。
これまでも仕事柄、博物館などには割と出入りしていましたが、流石に展示品を触ることはありませんでした。それが、なで回せる経験はとても貴重でありがたい経験でした。
次は粘土作りです。
このような粘土を含む土を分けてもらい、これに川砂を混ぜながら延々と練ります。合計4時間くらい練り続けました。見た目は粘土っぽくなったところで、満足してこの日は終わりにしました。実際に成形する前に2週間ほど寝かすのが良いらしいとのことでした。理由は良く判らないみたいです。
しかし、土器を作る段になって気がつきましたが、練りが甘かったです。
実際に現物を眺めながら、土器を積み上げて行きます。
この時に気がついたのは、実際に作ろうとすると、めちゃくちゃ詳しく観察が必要となります。博物館の展示品を唯眺めるのとは桁違いの集中力をもって観察しなくてはならず、とても良い勉強になりました。
作ってみるとなかなに面倒くさいので、このオリジナルを作った人の中でこの文様である大きな理由があるのであろうと思いました。その意味までを感じとることは出来なかったのですが、大事なものを作ろうとしていることだけは分かった気がします。これだけでも収獲です。
実際に成形した状態がこちら。
何となくそれっぽく出来た気が・・・・・
ここから1週間自然乾燥させて、貝や石を使って表面をなめらかにしました。磨きと言う工程らしいです。
私の場合は、線彫りの模様が多かったのであまり磨ききれませんでした。
ここから更に1ヶ月乾燥させていよいよ焼成となりました。
公園内の木々の枝を燃料にしてたき火をし、先ずはその火の回りに土器を置き、温度を馴染ませた後に、たき火の中心に土器を置き、新たに枝をくべて火力を上げて焼成しました。実際に火の中にあったのは20分くらいだと思います。
こんな感じで焼きました。
火が落ちて、温度が下がってから取り出してみると、割れずに無事に完成しました。
煤もいい感じについて、個人的には大満足な土器が出来上がりました。
粘土の練りと磨き工程が甘かったようで、水はダダ漏れで何ら実用になりません。
やはり、一度でも実際に作ってみると、展示されている土器を見る解像度が一気に上がった気がします。
確実な答えを得ることはほぼ不可能だと思いますが、この先土器を見る機会を積極的に増やして、これらの文様の意味などについて妄想を続けて行きたいと思います。
使えるモノは使わせていただきます
元々古屋が会ったところに家を建てているのですが、私らは夫婦は心底貧乏性でして、新築の家を作る事に罪深さを感じています。
そんな罪の意識を少しでも軽減するためにも、使えるモノは使おうとの事で、古屋も物色しました。
その中で、台所についていた食器棚と和室にあった障子を使わせていただく事にしました。
この食器棚、なかなかの汚れ具合でして、中古品好きの私でもそのままではさすがに無理なレベルでしたが、無垢材らしい扉は洗剤で洗うとそれなりのレベルになりました。
本体はメラミン貼りのベニアなのですが、これは油が染みこんでしまっていてどうにもならない状態でした。ここに関しては、これからダイノックシートを貼ってお化粧するつもりです。
障子に関しては、今時の建物とモジュールが異なるので、設計さんには嫌がられましたが勿体ないからのごり押しで使う事にしています。
障子紙は貼り替えればきれいになりますが、洋室と和室との間にあった障子は中にワーロンを挟み込んであるモノでしたので、付き合いのある樹脂問屋さんからワーロンを調達して入れ替えました。お陰で障子本体はきれいなモノです。
後は、建物に入れたときにモジュールの違いの影響がどのように出るかです。許容範囲に収まればいいのですが・・・・
室内の家具類も殆どは今の家から取り外して、移設する予定です。
手間は掛かりますが、ゴミは減らせるし、お金も節約出来るし、見慣れて使い慣れたものの方が落ち着くかなと思っています。
お陰で、自分で手を動かさないと行けない作業がてんこ盛りで、なかなかに忙しくなってきました。
憧れの作業に立ち会えました
小学校で歴史を習い始めた頃から、歴史は好きでした。
特に好きだったのは、先史から古墳時代くらいまででした。あまりに昔なのと文字情報が無いこととが相まって、妄想が膨らませ易いところが気に入っているみたいです。
大学も歴史方面に進むことも考えた事があるのですが、大学で学んだことを直接行かせる職に就ける可能性が低そうなので、もう一つの関心方向で打率が高そうな、技術屋になった次第です。
そんな私がたまたま出会えた土地が運良く(?)埋蔵文化財包蔵地の指定を受けていました。旧石器時代からの遺物が見つかる土地だそうでで、ずっと人が住んでいるようです。
当該地が地山でして、普通にベタ基礎の住宅を建てるために掘るだけでも、関東ローム層まで到達してしまう可能性が高いとのことで、基礎工事の前に市役所で試掘を行ってもらう事になりました。工務店さんは結構嫌がっていたのですが、私としては大歓迎イベントです。この調査に施主は立ち会う必要は無いのですが、私の都合に合わせて調査を行ってもらいました。
まずは、こんな感じでどのくらい掘れば縄文時代の地層(関東ローム層が目安らしいです)に当たるのかを慎重に掘り下げていきます。地面から40~50cm掘ったところで到達しました。次に、関東ローム層が掘り下げられている面を慎重に掘っていきました。
そうしたら出ました。
黒曜石の石器片。
流石にこの近所では黒曜石は産出されないので、ここにあるということは、当時においても随分遠距離との人の往来があった証です。
気分が上がります。
その後、縄文土器片も出てきました。
これと同じくらいのサイズのものが5個ぐらい見つかりました。
と、これら程度の遺物が出てくると、発掘調査の段階としては、本調査と言うものになるそうです。
本調査と言っても、さして広くない土地ですので、合計2日間の発掘調査で終わってしまいました。
他にも、火を焚いた跡も見つかりました。残念ながら住居跡とかの大物までは見つかりませんでした。これまでの付近の発掘調査の結果から類推するに、集落の端っこで壊れた土器や石器を捨てた場所だったのかも、とのことです。
これらの遺物が出た場所を念入りに発掘していた断面がこちら。
明らかに人為的に土地の形が変えられている様が見て取れ、実に興味深かったです。
冒頭に印した様に、歴史好きにとってはこうして発掘調査をつぶさに見られたのは嬉しい経験でした。
この様に市が行う発掘調査の実働部隊は毎年募集があるとのことでしたので、次に募集があるときには応募して、実際に掘り掘りしたく思っています。
こんな事がきっかけになって、歴史好き熱が数十年ぶりに再燃して、最近では地元のみならず、旅先でも考古資料館を見つけると見学して、少しずつ分解能を高めるべく知識の蓄積に邁進しています。
住宅地としては、古くから人が住んでいた土地ほど、自然災害に対してのリスクは低いはずですので、つくづく良い場所と出会えたものだと嬉しく思っている次第です。
フェリー旅デビュー
昨年に引き続き、九州まで出かける用事がありました。
昨年は2週間に渡って、京都ー岡山ー福岡と順番に用事があり、時間をかけて自走して九州に渡りました。帰りは門司港ー横須賀間をフェリーで帰る予定だったのですが、台風で欠航となり、2日間かけて一気に埼玉まで走りました。
なかなかの苦行でした。
今年は、新しい手を思いつき、大阪まで自走し、さんふらわあ号で九州上陸する事にし、実行しました。
結果としては、大当たりでした。
身体は楽だし、時間も有効に使えました。
お世話になった船は、さんふらわあ くれないです。
大阪南港のターミナルについて初めて間近に見たフェリーのサイズに気分が上がりました。
男の子なので、大きな機械はそれだけで絶対善です。
車で乗船でしたので、船の脇から自走して船内に入ったのですが、ちょっとした自走式の駐車場かと思うサイズです。ちなみに乗用車2階に駐車でした。
船内の係員さんの指示で、直進のみでスムースに駐車場所まで移動できます。
ちなみに下船時も直進のみでの移動です。
部屋はギリギリプライベート感のありながらの節約モードで、プライベートシングルという部屋にしました。
アコーディオンカーテンで区切られたこんな部屋が9室連なって、鍵つきの一部屋になっているちょっと変わったレイアウトです。アコーディオンカーテンは内側からは鍵がかけられるのですが、外からはかけられません。風呂や食事などで長時間部屋を離れるときは、貴重品をコインロッカーに入れていました。
レストランの写真はないですが、ビュッフェ形式でいずれのおかずも美味しくいただく事が出来ました。
南港を出て少しすると、明石海峡大橋の下をくぐります。
晴れた昼間だったらもっと見栄えがするのでしょうが、夜の景色もなかなか良いモノでした。
こうして写真を撮るためにでデッキに出て驚いたのが、思いの外風が強いことです。
この船は最高速で40km/h位出るらしいですが、自転車よりははるかに速いわけで
風が強いのは当たり前なことですね。
朝になり、デッキに出て煙突を見てみると、全然排気ガスが見えません。
この辺がLNG船の面目躍如たるものでしょうか。
瀬戸内海を進んだのと、気象条件が良かったのと相まって、全く船酔いも無く熟睡できて、翌日は普段通りの体力気力がありました。
寝ている間に都市間を移動できるのは本当に魅力的です。
関東からはあまりフェリーの航路が無いのが残念な所ですが、今回みたいに車移動とフェリー移動を組み合わせることで、結構楽に長期距離移動が出来る事が分かったので、今後は積極的に利用していきたいと思った次第です。
イ・ムジチ合奏団@MUSE
ヴィヴァルディの四季で有名なイ・ムジチ合奏団の演奏を聴いてきました。
毎度の所沢ミューズです。
多分、私が高校生の頃にイ・ムジチ合奏団の四季がブームになって、そこで聴いてから長年聴き続けてきて、やっと生で聴く機会が得られました。
演目は、
パッヘルベル:カノン
ヴィヴァルディ:「調和の霊感」から 協奏曲ニ短調 op.3-11, RV565
J.S.バッハ:管弦楽組曲第3番ニ長調 BWV1068から アリア
ボッケリーニ:メヌエット
モリコーネ:『めぐり逢い』(1994)-メインテーマ
ヴィヴァルディ:弦楽のための協奏曲ト長調 RV 151「アラ・ルスティカ」
◇休憩◇
ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲集「四季」
◇アンコール◇
スカルラッティ(エイヴィソン編):アレグロ・コン・フリア
山田耕筰:赤とんぼ
坂本龍一:ラストエンペラーのテーマ~イ・ムジチ結成60年のために
ヴィヴァルディ:弦楽のための協奏曲 第3楽章
でした。
素人の単なる印象ですが、どの演奏もとても軽やかで現代的な感じがしました。いずれも耳なじみのある曲なのですが、17世紀に作られた曲とは思えないくらい新鮮で瑞々しい印象を持ちました。
アンコールはスタンディングオベーションとなり、最大限に演奏してくれた感じでした。
特に感動したのは「赤とんぼ」です。
音楽を聴くだけで涙腺が緩んだのは初めての経験でした。
これまでも、自分の経験などの文脈的な理由から音楽がトリガーとなって涙腺が緩む経験は幾度かありましたが、そんな背景も無く、単に音楽だけでこれだけ感動出来る事を体験できて、人生の忘れ物を一つ拾った気がします。
今日は、数日前の肉体労働の疲れから来る腹具合の悪さも相まって心身共に衰弱した状態で聴きに行ったのですが、コンサート後には、点滴を打った後みたいに心身共に快活な状態になっていました。
改めて、音楽の持っている力に驚かされました。
本当に、素晴らしい演奏を聴くことが出来て、ありがたい限りです。